中学時代に受けた性的イジメ

体験談

僕もいじめられていた経験があります。
僕は、中学生の頃、ガリ勉で、学校が荒廃していた時代でしたので、先生方からは、良く思われ、とても可愛がられました。

しかし、それを疎ましく思う人の方が多数で、正に、その代表である不良グループにいじめられていました。
暴力的なことは、先生方や校舎にむけられていたので、ケガなどすることはなかったのですが、
性的なことが僕にむけられ、羞恥と屈辱の日々でした。
今よりも情報が少なく、しかも、勉強一筋だった僕は、性に関することを全く知りませんでした。
彼等にしてみれば、それも狙いの一つだったのではと、今になって思います。

放課中に、次の授業の予習をしているところへ、不良グループがやって来て、僕の勉強の邪魔をしました。
それでも、僕は不良グループと戦いました。
「学校では真面目な顔してても、家ではお前もセンズリこいてるんだろ」この言葉が、羞恥と屈辱の日々の始まりでした。

僕は羽交い締めにされて、ズボンとブリーフを下ろされました。
当時、毛が生えてなかった僕を、不良グループは嘲笑っていました。
「毛も生えてないなら、センズリを知らないだろうから教えてやるよ」
僕はペニスをシコシコと扱かれ、勃起してしまいました。
そのまま扱かれ続けていると、オシッコが込み上げてくるような感じがしました。

僕は焦りました。中学生にもなって、しかも人前でオシッコを漏らすなんて、
そんな恥ずかしいことは出来ないと思いました。
しかし、込み上げてくるものを止めることは出来ませんでした。
次の瞬間、僕のペニスの先から白い液体が出ました。

これが僕の精通です。不良グループは、笑いながら教室を出ていきました。しかし、
僕はペニスから出た白い液体の正体が分からず、驚いていました。
授業開始のチャイムが鳴ったので、とりあえず、ちり紙で白い液体を拭いてズボンとブリーフを穿きました。

後で、友達に白い液体の正体やセンズリについて教えてもらいました。

不良グループの前で一回センズリをさせられた後でした。

「センズリ気持ちいいだろ?」
「はい、気持ちいいです」
「一日に何回でもセンズリしたいだろ?」
「はい、センズリしたいです」
「じゃあ、させてやるよ。でも俺達は優しいから授業中は勘弁してやる。だから、全放課中センズリさせてやるよ」

約束通り、次の放課の時間に不良グループが来て、僕はセンズリをさせられました。

「じゃあ、次の放課も来るからな」

不良グループは僕が射精すると、どこかへ行ってしまいました。
約1時間の間に2回射精したのは初めての経験で、短い放課時間で3回目の射精する自信がなかったので、僕は授業中にズボンのポケットに手を入れてペニスを扱きました。
授業中、ずっと勃起しっぱなしで、ブリーフが濡れているのが扱いていて分かりました。
不良グループが来て、ズボンとブリーフを下ろすと、勃起したペニスが飛び出しました。

「センズリしたくてウズウズしてるのか?」
「はい、そうです」

僕は勃起したペニスを扱きました。
でも、すぐに射精すると怪しまれると思ったので、授業開始直前になるまで射精しませんでした。
それの繰り返しで6回射精しました。
3回目の射精が終わった頃から、ペニスがジンジンとして、扱いても扱いても気持ちいいと感じなくなっていました。
それでも頑張ってペニスを扱きました。
6回目の射精が終わった頃にはペニスが痛かったです。
それに、精液も雀の涙ほどしか出ませんでした。
僕を含むいじめられっ子5人は、各々、特定の不良グループにいじめられていました。
その不良グループが一つのところに集まり、互いのいじめられっ子を競わせるというのがありました。

僕たちはブリーフだけになり、不良グループに囲まれます。
そして、合図により相手のブリーフを脱がし、ペニスを扱き射精させるのです。
最後まで射精しなければ、不良グループに褒められるのですが、負けるとあとでいじめられます。

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ペニスを見られる恥ずかしさを知っている者同志なので、ブリーフを脱がすのには抵抗があります。
「何もたもたしてる。いじめられたいのか?」
不良グループに檄を飛ばされ、僕は相手のブリーフを脱がせようとします。
相手は脱がされまいとブリーフを片手で押さえながら、僕のブリーフを脱がせようとします。
半ケツになったり、金玉がはみ出るのを見て不良グループは笑っています。
いつまでも勝負の決着がつかないと個人攻撃指令が出されます。
「学を脱がして射精させろ」
僕はブリーフを脱がされペニスを扱かれます。
「学、射精したら、どうなるか分かってるだろうな?」
僕は反撃に出て、ペニスを扱きます。
「学、そいつのペニスしゃぶれ」
僕はペニスをしゃぶりました。

しかし、ペニスを扱かれていたはずの僕もしゃぶられていました。
初めてしゃぶられた僕は、あまりの気持ち良さに射精しました。
相手の顔には精液がべっとりとついていました。
でも、そのまま勝負は続行です。
勝負が終わったときには、皆の体は精液にまみれていました。

僕はその後も不良グループからの性的いじめが続きました。
「昨日、家でセンズリこいたろ?」「いえ、していません」と答えると、「じゃぁ、学校でさせてやるよ」と学校でセンズリをさせられ、「はい、してきま
した」と答えれば、「そんなにセンズリが好きなら、学校でもさせてやるよ」と、結局は不良グループからセンズリをさせらる日々が続きました。

実際、射精の快感を不良グループから教え込まれた僕は学校で射精させられた
後でも、以前のいじめられっ子同士が競わさせられて、僕のペニスが初めてしゃぶられた時の快感を忘れることができず、自宅に戻ると自らセンズリを行うようになっていました。

どうせ明日も不良グループからセンズリを強要されることはわかっていながらも、射精の快感は僕を誘惑してしまい、自宅で勉強中でも僕のペニスは勃起してブリーフを濡らしていて、ペニスを扱いてセンズリをしていました。
いつもセンズリのことで頭がいっぱいで勉強に集中できず、何度も止めようと思っても止められなくなった自分を恨みました。
優等生だった僕の成績はどんどん落ちる一方で、下から数えた方が早いくらいになっていました。
先生の贔屓もなくなり、同級生からも軽蔑の目でみられるようになっていました。
僕は不良グループのパシリをするようになるまで、零落れてしまいました。

もう少し、僕の過去を語ってみたいと思います。
僕は不良グループのパシリとなりながらも、不良グループから性的イジメは続いていました。
性的イジメは段々エスカレートして、銭湯に連れて行かれて勃起したペニスを晒したまま入浴を強要されたり、その後は不良グループの家でいじめられっ子同士でペニスをしゃぶりあいをさせられたりしました。
人に見られている羞恥心はあっても、その行為の間は、それを忘れるほどの快感でした。

僕のペニスの周りに発毛が始まると、不良グループは「手術」と称して僕を全裸にして押さえつけて、カミソリで剃毛しました。
この屈辱的な「手術」の最中でも僕のペニスはシェービングクリームの刺激で勃起していました。
不良グループは「そんなに気持ちいいのか?」と僕の羞恥心を煽り、「はい、気持ちいいです」と答えると「また、剃ってもらいたいか?」「はい、剃ってもらいたいです」「じゃ、剃ってやるからな」と言って、その後、毛の生え具合をチェックされるようになり、ある程度、毛が生えると剃毛されてしまい、無毛のペニス状態がしばらく続いていました。
毛を剃られた後、不良グループはシェービングクリームまみれの僕のペニスを玩具のように扱い、僕は何度も何度も射精させられました。
不良グループに包皮を何度も剥かれ続けたことで、剥き癖がついてしまったのか、勃起すると、くるりと自然に包皮が後退するようになってしまい、中学を卒業する頃には亀頭が露出するようになってしまいました。
不良グループに剃られた毛が生えかけてくると毛がチクチクと僕の亀頭を刺激して、僕をセンズリの誘惑に誘い、不良グループに性的イジメがない日でも自らセンズリをして、センズリ中毒のようになっていました。

進級しても下級生の前で同じような性的イジメが続き、下級生からもに僕に性的イジメが入るようになってしまってからは、僕は学校へ行くことがつらくなり、中学の後半からは不登校児童となっていました。
学校の成績もどんどん墜ちていて内申点もままならく、中学入学の時に目指していた有名高校への進学は遠い夢どころか、高校進学も危ぶまれ、ようやく県下最低と呼ばれていた農業高校に入学するほど、僕は落ちぶれていました。

身体が大きく力で勝っている鉄平といじられ役の海斗という厳然と存在していた上下関係。しかし進学して恐い先輩に目を付けられ、デカさ勝負をさせられることになって――。


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